往生要集
源信『往生要集(上)(下)』1994年 岩波文庫
中村元『古典を読む 往生要集』1996年 岩波出版
大角修『日本人の死者の書 往生要集の<あの世>と<この世>』
2007年 NHK出版
なんでこれらの本を借りたのか、読む段になって全く思い出せなかった。
私はちょっとでも興味を持つと、ソッコウ、図書館のサイトで関連図書を予約する。いつもは手にするのも待ち遠しいくらいなのだが、今回の本は、手にした時には、何を調べようと思ったのかすら思い出せなかった。
浄土三部経はあらかた読んでしまったし、『往生要集』も概略は知っている。何に興味があって、わざわざ借りたのか? さっぱりだ。
でも、せっかくなので斜め読みしてみた。
『往生要集』は地獄の詳細な描写で知られており、平安末期以降、盛んに作られた地獄絵、地獄図、地獄草子などは、この『往生要集』に依拠していると言われている。しかし、地獄を記述した章である「厭離穢土」は、全体の中でそれほどの分量を占めているわけではない。ただ、しょっぱなの第一章に当たっており、確かにインパクトは他の章を圧倒しているとはいえる。
中村元氏は、『往生要集』を元に盛んに創作された生々しくも写実的な地獄絵に注目し、日本人の思惟からこの現象を読み解いている。
曰く、西洋絵画では戦争場面の描写など非常にリアルで写実的な絵が多いが、日本の絵画は、一般的に言って、残虐で写実的な描写は少ない。しかるに、これほど「温厚」な日本人が、何故にかくまで禍々しくも生々しい地獄絵を描きまくって衆目にさらしたのか。
中村氏の見解はこうだ。
キリスト教の神は審きの神である。神を恐れるが故に悪事をしないのである。ところが仏教の仏には審きがない。悪人をもなお慈しむ。では、悪人はいかに審かれるかというと、因果応報の理による。いわゆる悪因悪果、善因善果である。極悪人は死ぬと地獄の責め苦を受ける。悪いことをするとこんな苦しみを受けるぞと、民衆を脅かしたのである。
これは他面では、仏の慈悲を強調する所以でもあった。地獄でこんな責め苦を受けるような悪人すら救われる道がひとつある。それは仏の慈悲にすがることであると。
う〜ん、中村さん、さすがだねえ。よく分かります。
もうひとつ中村氏の指摘で目から鱗だったのは、源信という人がどんなに合理的理論的な頭脳を持っていたかということだ。『往生要集』の叙述方法も論文のように整合的であるし、ともすれば極東の島国である日本人は、その特異性をもって仏教も「日本的」であろうとしたが、彼はあくまで世界宗教としてとらえ、しかも、日本から世界に自説を発信する道をも選んでいる。彼は『往生要集』をひとつの学問的成果として、中国に帰還する僧に託したりしているのだ。驚き入った人物だ。
この素晴らしい源信さん、横川の僧都として『源氏物語』にも登場しているが、確かいつか漫画で見たよなあと思い、今回、改めて調べてみたら、それは彼の師の良源さんだってことが判明した。いや、この良源さんも素晴らしい人なんだよねえ。
良源さんは本当に超美形だったそうで、あまりに周囲がウルサイので、外出する時は鬼の面をかぶっていたという。まるで蘭陵王のようなお方です。
つい最近まで、平安時代の美形に対しては偏見を持っていた私だが(引き目鉤鼻?)、人間の顔なんて千年やそこらで変わらないってことを実感する出来事を、この夏、体験したので、良源もきっと福山なみの美形だったに違いないと今は信じている。源信はどうだったのか、残念ながら歴史は語ってくれない。
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