日本と契丹―11世紀の仏教遺産


開演前のステージ

今日、予定通り、九博の契丹イベント講座へ行ってきた。久しぶりに神居先生の神居節を耳にして、やっぱりいいなあ(はぁと)と、仏教芸術への研究意欲が倍増した。この調子で卒論がんばらなくっちゃね。(とここに落とし込んどく)

さて、講座の内容は、せっかくの平等院ご住職のお話ということで、やはり平等院文化財についての紹介が多かった。私は既に大学の講義で一度聞いているので、二度聞いた部分はさらに理解が深まったが、初めて聞く人には専門的すぎて少々退屈&難しかったに違いない。

で、講義のキーポイントを私なりにまとめると、次のようになるか。(あくまで私の個人的理解!)

平等院美術は、美術史上「和様の完成」と言われているけれども、「国風」「和様」とは何かということを再度検証し直さなければならないのではないだろうか。つまり、周辺の文化を詳細に調べると、日本独自の美術形態と言われているものも、意外と大陸の文化と相似な点があり、密接な関連を持っていることが分かる。例えば、今回の世界初公開の契丹の文物、あるいはチベットの文物などは、純和風と言われる平等院美術と相通じる点が多々ある。中央アジアやヒマラヤなどは遠い地域だと思いがちだが、文化は思いのほか広く素早く伝播するのではないか。

これについて、私が思うのは、美術史の研究以前の問題になると思うが、日本は江戸時代に鎖国をして外国との交流を狭め、明治以降は遠い欧米のみに目を向け続けた結果、古くて近い関係の近隣諸国との距離感がものすごく開いてしまったように思う。今でも、チベットに行くよりロンドンに行く方がはるかに近い。

江戸以降、数百年に及ぶこういう「集合意識」の結果、中央アジアは果てしなく遠く、インドネシアでさえ海の彼方にあると思う変則的な心理的距離感ができあがった。そういう(無)意識を持った研究者が文化財の研究をする際、その変則的な距離感が働かないという保障はない。日本にシュメール人が来ていたなんて、なんちゅうトンデモな話だ!と思うほど、現代日本人は視野が狭く、未知のエリアには実際以上に距離感を抱いている。一方、古代人にとっては、地球は今よりもっと狭かったに違いないと、今日思った。

講演終了後、女子トイレで調査した神居先生の講義の感想は、「ものすごく声がいいし〜」というものだった。(^_^;) 本当に「音魂」を感じさせてくださる素晴らしいトークをなさる方で、相変わらず、手の動きも絶妙でした。


※関連過去記事
九博「草原の王朝 契丹 美しき3人のプリンセス」展


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