村上華岳‐時空を超える想い

大学進学で親元を離れて京都へ行くまで、18年間、神戸に住んでいた。
市内ど真ん中、今では中央区と呼ばれているが、当時は生田区と云った。

中2の時、クラスメイトと一緒に、とある男子校の文化祭に遊びに行った。
最後に入った教室が高2のクラスで、「お化け屋敷」イベントをやっていた。
で、何が良かったのか、結局、終了時間までそこで遊んでしまい、片づけまで手伝って、すっかり彼らと仲良しになってしまった。帰りも、みんな一緒に駅まで歩いて行った。

そんな経緯で、一緒に行った友達の一人は、その中の一人にすっかり惚れこみ(いわゆる一目ぼれですな)、その日から、寝ても覚めても、彼の話を聞かされることになる。

ある日、彼女は意を決して、彼をデートに誘う手紙を渡しに行くことになった。
自宅は分かるが電話番号が分からなかったので、手紙手渡し。というか、会いたかったんでしょう。

心細いから一緒についてってと言われ、彼の自宅まで一緒に行ったが、あいにく留守で、手紙も渡せず仕舞いだったように記憶している。

今では異人館通りと言われている観光エリアが、まだ地味な山本通りや中山手通り、北野町だった頃の話です。
確かそこらへんだったような気がする。(いやそれともこれは別の男の子だったかなぁ)

その後、連絡が取れるようになって、何度かデートらしきことをしたようだが、相手は高2、こっちは中2。
どうみても、本気で相手にされてるわけじゃなかったようだ。

そういう甘酸っぱい思い出も、霧の彼方へきれいに消え去ったかに思えた中年のある日。
彼女は偶然、彼と再会したらしい。お互い既婚だったが、昔の淡いお付き合いのご縁で、楽しく飲んだということだ。

で、その時、聞いた話が「彼のお爺ちゃんは有名な画家らしい」

「ふうん、そう」

しかし、彼女は電話の向こうで、お爺ちゃんがどんなにすごい画家かってことを切々と説く。
いやもうええし・・・と思いながら右から左に流していた。

その後、まるで私を狙い打ちするかのように福岡市美術館で現代日本画展が開催された。
ポスター真正面を飾るのは村上華岳の「裸婦図」。おおっ、これが例のお爺ちゃんの絵か・・・
で、その展覧会を見に行ってさらにビックリ! 巨大な「裸婦図」の前で、口あんぐり。

絵から圧倒的なパワーというかエネルギー?オーラ?光?があふれ出ていて、絵の前から動けない。ううっ、ここれはヤバすぎる・・・と思いつつ、ぼーっとした頭で、完全に圧倒されて会場をあとにした。この時の展覧会には、はっきり言って、村上華岳以上の絵はなかった。というか、彼の絵が他を圧倒していた。ポスター真正面飾るわけだわ。


切手にもなってます

それ以降、村上華岳フリークになった。

村上華岳は明治21年に大阪市北区に武田誠三、たつの長男として生まれ、17歳のとき神戸の村上家の養子となる。養父母の愛情と理解を得て、京都市美術工芸学校、京都市立絵画専門学校、京都市立絵画専門学校研究科と進学し画家への道を歩み始めます。京都在住の頃は、かなり放蕩をしたとかの逸話もあるようですが、34歳頃から喘息の発作がはじまり、昭和2年以降、神戸の自宅で隠棲にも似た生活を続け、多くの仏画、山水画を制作。昭和14年、ついに喘息の発作で帰らぬ人となりました。

村上華岳については語り尽くせない想いが宇宙の大きさほどあるが、ともあれ絵をご堪能ください。


雲中散華



観世音菩薩 半身尊像



拈華観音像



雲上散華之図



太子樹下禅那之図(京都祇園何必館で見られます)



牡丹(絶筆)



村上華岳『画論』中央公論美術出版 平成元年 定価6100円
私のバイブルです




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