ゾロアスター教
明治の哲学者西周が「拝火教」と訳したせいで、私はゾロアスター教というのは火を拝むあやしげな宗教だとばかり思っていた。
今から三千〜四千年前、古代イランに生まれたザラスシュトラ(ギリシャ語読みゾロアスター、ドイツ語読みツァラトゥストラ)は、ある時、ビジョン(顕象)を得た。それは他人には幻想かもしれないが、本人には現実であった。その時以降、彼は、多神教を説く旧来の信仰に対して、アフラ・マズダーが唯一の至上神だと説いて、自らの教義を確立していった。これが世界最古の宗教のひとつゾロアスター教の始まりである。
伝統的ペルシャ衣装に身を包んだザラスシュトラの古典的な肖像(表題図書より)
18世紀までザラスシュトラの肖像画はなかったらしい
ゾロアスター教義によれば、アフラ・マズダーは世界を二段階で創造した。最初は精神的な段階である。アフラ・マズダーは生きとし生けるすべてのもののフラワシ=守護霊を創った。この時、すべてのものはまだ肉体を持たなかった。すべてが純粋で邪悪に染まっていなかった。アフラ・マズダーはフラワシに肉体を創るべきかどうか尋ねた。もし肉体が与えられたらもはや完璧でなくなることも警告したが、フラワシは肉体を望んだ。その結果、物質界が生まれ、同時に邪悪も生まれた。「真理」と「虚偽」との戦いが始まったのだ。
このような世界において、人間は自らの思念と精神において邪悪と闘わねばならない。正しい行為は邪悪の破滅の実現に資する。この世の終焉までに救世主が三柱、千年の時を隔てて出現する(弥勒?)。そして邪悪に対する最後の闘争で義なる者を導く。
遅かれ早かれ人は死ぬが、そのフラワシと霊魂は不滅であり、死後の霊魂がどこに行くかは生前の選択による。アシャ(完全な道理)の道を歩んできた者は極楽である「頌歌の家」へ進む。そうでない者は地獄の縁に落ちる。が、その地獄も永遠ではない。善が悪を倒すまで存在するだけである。そしてそれは必ず起こる。その時、死者は復活し、救済されるのだ。
この時を目指して、すべてのゾロアスター教徒は絶えず善行に励み、道徳的で倫理に適った生活を送る。「善思・善語・善行」を旨として、正直、親切、謙譲、同情、感謝、家族愛、友情などの美徳を敬い、他者を尊敬し、社会を尊重する。環境を尊び、動物を愛護する。
このような教えゆえに、自らの人生の向上と社会の発展を目指し、成功したゾロアスター教徒は少なくない。インドのタタ自動車のタタ家もゾロアスター教徒(インドではパールシーと呼ぶ)だそうだ。日本のマツダ自動車のMAZDAがアフラ・マズダーにちなんでいることも、よく知られている。(まさかゾロアスター教徒ではあるまい)
また、ゾロアスター教の教義が、キリスト教、イスラム教、仏教に与えた影響も少なくないと言われており、詳しく検証すると色々面白いことが分かりそうだが、それはさておき、この本を読んで一番面白かったのは、ゾロアスター教の伝統的葬送制度=鳥葬についての記述である。鳥葬という葬制があることはもちろん知っていたが、どのような仕組みになっているのか、調べたことはなかった。
ゾロアスター教の伝統では、死は儀礼的な不純、あるいは汚染のもっとも強い形を意味する。遺体は儀式によって霊魂を抜いたあと処理されるが、火、水、空気、土という神聖な要素を汚すことは許されないので、ゾロアスター教の伝統が息づくインドとイランでは、遺体の処分は「沈黙の塔(ダフマ)」に委ねる。「沈黙の塔」というのは、屋根のない円形の石造建築物で、たいがい不毛の丘に設けられる。
内部は三重の円になっていて、外側から男性用、女性用、子供用と、一体ずつ遺体を置く石板が設置してある。塔に運び込まれた遺体は石板の上に置かれ、ハゲワシが貪り喰らうに任せる。ハゲワシの食べ残しは中央の竪穴に流され、定期的な酸の散布で処理される。さらに残存物は地下井に流され、そこで徐々に土に還る。
近年では、世界中に散らばったゾロアスター教徒にとって、現実的に別の遺体処理法が必要になってきており、埋葬や火葬なども行われるらしい。が、最も敬虔なゾロアスター教徒は、やはり遺体を送ってでもダフマでの葬送を希望するという。
ゾロアスター教は他の世界宗教と異なり、改宗を求めることも、自らの宗教を宣伝することもない。それどころか、ほかからの入信者を受け入れず、両親(あるいは父親)がゾロアスター教徒でないと、子供も正当な信徒として認めないという掟があるようで、信者は年々減る一方だという。そんな閉鎖的な共同体ゆえに、教義内容も一般にはよく知られておらず、私などはとてもカルトな宗教団体だとイメージしていた。この本を読んで初めて、「善思・善語・善行」など大乗仏教にもつながる教義内容を持った非常に現実的な宗教だと知った。
アフラ・マズダーはヒンズー教で魔神アスラとなり、日本へ来てジャニーズ系仏像阿修羅となり、何度も見たくせに成り行きで拝観3時間待ちイベントに参戦してしまった私にとって、浅からぬご縁を感じさせる神でもある。
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