お賽銭はなぜ投げるのか

神社での参拝の作法は、手水場で手と口を清め、賽銭を賽銭箱に入れ、鈴を鳴らして拝礼する、というのが一般的な作法と言われている。
ここで疑問なのは、なぜ我々は賽銭を投げ入れるのかということだ。

ある時、何かの本かサイトで、賽銭を投げるのは神様に失礼だからそっと静かに入れましょう、という記事を読んで、確かに投げてたよなあと気付いた。それ以来ずっと気になっていた。賽銭を投げるのは作法といってもいいくらい定着している。たまに札を入れる人を見かけると、投げても音がしないので寂しいんじゃないかと気遣ってしまうほど、お金の落ちるチャリンという音が礼拝の必須アイテムのように感じていた。

新谷尚紀『お葬式―死と慰霊の日本史』吉川弘文館2009年 を読んで、なるほどと思った。
新谷さんは民俗学者で、この本は日本の葬送儀礼について民俗学の立場から分かりやすく書いてある。その中で、賽銭を投げる意味についても触れられているので、ちょっと紹介してみたい。


贈与の意味:

物品の贈答は人と人を結ぶものである。マルセル・モースの古典的な贈与論によれば、社会的な関係の中での贈与という行為は上下関係を生じさせる。日本の民俗学の立場からさらに言えば、日本には社会的でない関係における物品の贈与があると考えられる。このような脱社会の関係、相手の名前も知らない素性も分からない、そういう関係での贈与は社会的な上下関係を生じさせない。では、そこに何の意味があるかというと、お祓いの意味がある。つまり祓え清める時に物品が贈与されるという仕組みだ。


貨幣のもうひとつの働き:

新谷さんの持論によれば、貨幣は、ケガレ(=死)を吸い寄せる道具、ケガレの吸引装置だとのことだ。貨幣はあらゆるものに死をもたらす。色々な物品をもらいたくさん恩義にあずかっても、お金を渡して支払いを済ませてしまえば、その恩人と自分の間には上下関係はなくなってしまう。手切れ金や罰金、賠償金、退職金などが必要なのは、あらゆる社会関係を清算するためだと言える。貨幣はあらゆる社会関係を無しにしてしまう道具で、その本質の部分に死を内在させている。


賽銭の意味:

神社や寺に納める浄財や喜捨も、この「ケガレの吸引装置」という貨幣の本質が関係していると新谷さんは言う。浄財は「清らかなお金」という意味にふつうは考えられているが、民俗学の立場からいうと、それは「自らを清めるためのお金」だそうだ。贈与の相手が素性の分かった対等な相手の場合は貸し借りができるが、社会的につきあえる相手ではない巨大な存在や、行きずりの旅芸人、乞食などの場合には、布施という形で贈与され、そこに上下関係などの社会関係は生まれない。お賽銭は自らのケガレを祓え清めるために神社に納めるもので、神社は人々のケガレの吸引浄化装置、つまり「ケガレからカミへ」というのが新谷さんの学説だ。

お賽銭を賽銭箱に無造作に投げるのは、自らのケガレをお金に込めているからこその行為だとすれば、拝殿で鳴らす鈴の音にお祓いの意味があるように、投げ入れた賽銭のチャリンという音にも、やはりお祓いの意味があるのだろう。そう考えると、神様に失礼だからそっと静かに入れましょうというのは、僭越にも神様にカネを贈与して優位に立ちたいという人間の不遜な意図を露わにする行為以外の何ものでもないんじゃなかろうか。私はこれからも、賽銭はチャリンと鳴らして投げ入れることにしたい。「祓え給え清め給え」の気持ちをのせて。

しかし、よく考えると、これらのことは神社でのお賽銭について言えることで、寺の賽銭についてはまた違った考察が必要なように思う。長い神仏習合の歴史のせいか、人は見境なくどこの賽銭箱でも投げ入れる。寺は原理的にはケガレとカミの関係ではないはずだから、その点、どう考えればいいのだろうか…(と最後に問題提起してみる)



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